感情の正体の認識の違い?

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今日の内容は、お時間が無い方はご遠慮されても構いません。

この頃、何度か「理性が強くなりすぎて、心が表せない」とか「感情が出せない」などとよく耳にします。それで、他の方がアドバイスしているのを小耳に挟んだのですが、その方は「心=感情」と解釈している様子で、「感情を出せれば心(自分が言いたい事)を出せる様になる」と言うアドバイスでした。ん?と私は引っ掛かりました。

私の見解や経験では「情・感情=心」では無いですし、理性的な感情起伏は存在するので、理性的を感情に置き換えなくとも「理性的に冷静に言いたい事が言える心」に練習して心を修正すれば、良いだけなのに何故?と思った訳です。わざわざ人格を下げて低くし、感情を出す人に成り下がらなくても良いのにと。

何故なら、私のツイートを見て「感情を出している様でも感情に溺れないのは、大人(理性的感情)だからだ」と何人かの方が感じているようです。

その、アドバイスしていた方達から見たら、私は心が無い人と言う事になるのでしょうか?

 

でも、人それぞれの価値観ですし、考え方があるので仕方がありませんが、その、時代遅れの考え方、やり方を「私はわかっているの」的に押し付けるセラピストさんは、いかがなものか?と思いました。それは、霊界の神法や習いや決まり事を知らずに、勝手に言いたい放題、やりたい放題している自称霊能者達と同じ事をしている様にも見えました。

そうやって、また、一端は良くなっても、すぐに病んでいく人を増やしている、経験や知識の足りないプロを語る方が多いのも現実です。

 

今日も、心のせんたく屋さんの店主にお付き合い下さりありがとうございました。当店は、心の迷宮にいらっしゃる方は、事細かい所まで、説明し、たましいからご納得頂き、スッキリと洗い上げます。ぜひ、ご予約下さい。

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