「傍若無人」って善?悪?どっち?

お知らせ

みなさんは、傍若無人は善?悪?どちらだと思われますか?

私と私の霊団、霊界は、神法によって「傍若無人は悪である」と位置付けていて、「カルマ(因果応報)」が返る様に出来ています。その1例として、今回は検証してみましょう。

まず、傍若無人は悪という事が、何故言えるか?と言いますと、「知らなかったでは済まされない」と言う神法からも由来しています。つまり、言い訳が出来ない状態です(笑)。では、具体的に例に挙げて見てみましょう。

例えば、マンションで上の階の子供がドスドスと飛び跳ねたり、はしゃいで走り回って下の階の人に迷惑をかけたとします。親は「やめなさい」と一応は注意しますが、内心「お互い様なんだし、子供なんだから」と思っていたとします。下の階の人は、ただ耐えてストレスが溜まって・・・と言う事だけではなく、持病の悪化で死期が近づいたり、諸事情によって、心身が病んでしまったとしましょう。それでも、下の人は、頑張って耐えていました。とうとう、仕事もままならなくなって来ました。すると、ある日、上の階の子が学校でいじめに合ったり、自殺に追い込まれ始めました。親も周りも「何故、この子がいじめの犠牲に?」と言い合います。(ここでは、前世や他のカルマは無く、ドスドスの件だけにしてスポットします。加えて、下の階の人は前世にいじめや、何らかの嫌がれせをしたと言う「カルマ(因果応報)」が出ていたと仮定します)

もう、お分かりですか?

そうです。子供だからと言ってドスドスを止めず、走り回って笑って楽しんでいた事は、下の階の人が命も惜しまず耐え抜くと言う業(カルマの解消を魂に刻む)を実行する事によって、上の階の子は下の階の人に「いじめや嫌がらせ」を必要以上にしていたと、神法は采配して「いじめられる人に気持ちを分かりなさい。子供だからと言ってやって良い事ではありません」と説いているのです。また、下の人にも「いじめをされる事はこんなにも苦しいものであるとし、2度としない様に」と戒めています。そうやって、カルマは返り、「人の気持ちを理解しようと言う心を育む様になっている」のです。これがブラック企業に入って自殺に追い込まれると言うパターンも、カルマの返えりは遅くても、同じ原理と言えます。

が、世の中には、反省し教訓にし、人生に生かすと言う事を怠惰する人は少なからずいるもので、そう言った方には魂に刻まれるまで、何度も何度も繰り返し形を変えて、カルマが返るのが通説です。例えば、引っ越しても何度もいじめに合う形などです。

(私は守護霊の統括もしていた記録がありますので、因果応報(カルマ)がどのくらいの量で返るか?など、大まかな計算は出来ます。年数の計算は、本人の因果応報を見てみないと判りませんが・・・・・・・。カルマの返る時期は、知っている所では長くて、20年後に返ったとか、死ぬ間際に返って、来世も苦しみから始まるなど、(人や霊格によってパターンは無限にあります)を踏まえまして。。。

 

色々な要素が混じるので一概には言えませんが、そんな感じで「あの子は全く悪くないのに何故?」と言う時は、前世や過去、もしくは、わかっていない人や反省できない人のために、霊性が高い人(器が大きい)を使って「気が付かせる」と言う手段をとる場合(他にも多々意味はあります)など、多岐に渡って色々な手法でカルマ(因果応報)は返るのです。

そして「罪(カルマ・因果応報)から何人たりとも逃れられない」と私の霊団が言う様に、誰も逃れられた者はおりませんので、「傍若無人」には、くれぐれも、お気を付けください。

今日のせんたく屋さんはこんな感じです。人によって因果応報の返り方も、時期も違います。現在、因果応報にあり、苦しい方は原因を探り、解消に努めたり、教訓をどの様にして活かすか?など、明るい未来に向かいたい方は、ぜひ、店主にご連絡ください。神法に則った、必殺技などもございますので、時間はかかっても、何らかのお役に立てるかと思います。

 

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