善と偽善の境界線はどこに?

お知らせ

若い頃、ある葬儀屋さんの社長さんに合いお話を伺える機会がありました。

私は気が進まなかったのですが、母が「お忙しい所来て頂いたんだし、人生の経験が多い方だから何か得られるかもしれないから、お話、きちんと伺っときなさい」と言うものですから、それではと社長さんの前の座布団を陣取りました。

その内容は・・・・・・

「僕はね、いつも会社で偉い立場にいるからこんなだけど、時々、カンボジアの方に行っているんだよ」

なんのこっちゃ?と思いつつ、話の山はこれからだ!とふむふむと頷いていますと、

「行くとね、貧しい奴らばっかりでさ、色々寄付したりしてくるわけね。色鉛筆とか文具、食べ物は喜ばれるんだよ。笑顔に癒されるんだよね」

あぁ、それは良かったですね。と思った矢先に!!

「奴らに良いことして日本に帰ってくると、すっきりして良いんだよね。なんだかね。やめられないんだよね」

と・・・・・・・???

まず、「奴ら」って・・・・社長さんだからって、どこまで傲慢なんだろう?止められないのは良いけど、「帰ってくると、すっきり??」って何だろう?偽善じゃないか?でも・・・・この人の霊性を顕現しているから進化の途中って事でOKなのか??と思って、黙って表面だけ笑顔を作ってやり過ごしましたが、何んともカンとも言い難い吐き気がして、こっちの方がモヤモヤが止まないよ!!と怒りと悲しみに包まれた一日でした。

 

 

人には霊性と言うものがございます。それは、時にその人の人となりを現します。

初めから無償の愛を完全に顕現できる霊性なら、地球に生まれません。特に、進化の途中の方は、大人だろうが子供だろうが、霊性が幼いので仕方ありません。そう言った方々を見かけたら「自分も前世はこうだったのかも知れないから、お互い、まだまだ頑張りましょうです。伸びしろたくさん」と思う事にしています。

心のせんたく屋んでは、霊性の進化を促すレクチャーもしております。

よろしければ、ご予約、お願いします。

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